(セミナー出席や所要で臨時休業日の場合もありますのでご了承ください。)
整体師、カイロプラクター
●子供時代
私が子供の頃、母がひどい肩の凝りや腰痛があり、毎日のように母に頼まれ肩や腰を揉んであげていて、自然と「人の身体に触れ喜んでもらえる」というのは嬉しく気持ちいいものだなと子供ながらに思っていました。
また、小学生の時に足首を怪我したことがあり、そのときに通院した「接骨院」の先生の仕事ぶりを見てカッコいいなという憧れもありました。
それから月日が経ち周りの人たちが、就職を意識し始め、自分も「何をしたいか?」と考えた時、幼い頃からやっていた母へのマッサージや「接骨院」の先生が頭に浮かびました。
そこから、色々と調べていくと、「接骨院」は「柔道整復師」という資格なんだと知り、専門学校へ進もうかと考えましたが様々な諸事情により、進学をせず某印刷会社に入社しましました。
●体を酷使した会社員時代
当時勤めていた会社は8時~20時と20時~8時の12時間労働で交代制の夜勤のある仕事でした。
仕事内容も動きまわったり、重いものを動かしたりと体への負担が大きく、
また、引っ込み思案な性格で先輩方とのコミニュケーションも上手く取れないことが多く精神的なストレスもありました。
そんななか入社してから半年ほど経った頃、徐々に腰に違和感を感じるようになってきました。
元々、姿勢が悪く(かなりの猫背でした)、今思えば高校生の頃から首や肩にこりを感じていていました。
そんなある日、印刷用の紙(100キロぐらいの大きいトイレットペーパーのようなもの)を動かそうとした瞬間に強烈な痛みが腰に走り、動くのもままらなくなりました。いわゆり「ぎっくり腰」というものです。
その日は何とか家まで自力で帰り、母に腰が痛いから揉んでほしい頼みマッサージをしてもらったのですが、余計に痛みが強くなり起き上がることもできなってしまいました。、この行為は「ぎっくり腰」ではやってはいけないことですが、当時の知識のない私では、「揉めば楽になるはず!」というのがあったのです。
それでも休養を取ることで、強烈な痛みも徐々に治まってきましたが、何となく違和感が残るように、腰が疲れ重くなりやすくなってしまいました。
そして、この出来ことがきっかけで本屋に行くと「腰痛解消の本」みたいなものに自然と目にいくようになり、正しい知識を得ること体の大切さが少しずつ分かるようになり、いつのまにか本の筆者の方々のような仕事にまた興味が出てきました。
本を書いている方々の立場は色々で、「医師」、「柔道整復師」、「鍼灸師」、「マッサージ師」、「整体師」、などなど様々でした。
皆さんが、それぞれの考えを持ち色々な見方から体のことを書いていまいしたが、自分の中でたまたま興味が出て腑に落ちたのが、「カイロプラクター」という方が書いた本でした。
「カイロプラクター」が使っている手技が「カイロプラクティック」という民間療法ということを知りました。
それから、自分も人の体を楽にする仕事をしたいと思い始め、「カイロプラクティック」や「柔道整復師」、「鍼灸師」などを色々調べ、やはり自分の中では、「カイロプラクティック」の「背骨のズレを整えて自然治癒力を高め、症状を改善する」というもに引かれ、カイロプラクティックの道に進むことを決心しました。
●専門学校~修行時代~杉戸高野台整体院
そして、専門学校へ入学し2年間の間、深夜から早朝のアルバイトをしながら、様々なテクニックや解剖学、栄養学などを学び、また学校で講師をしていた方(師匠)の整体院でもお手伝いさせてもらいながら、技術を学ばさせてもらいました。
卒業後は、師匠の整体院で働きながら、師匠のテクニック、カイロ以外の様々な施術法を1年間学びました。
この師匠との出会いは自分にとって非常に大きいものでした。自分から進んで前に出るようなタイプではなかったのですが、上手にいいところを伸ばしてもらい、一人の人としても成長させてもらいました。
2年間師匠の整体院で働かせてもってから、分院の院長を任されることになりました。
そして2009年に「杉戸高野台整体院」の院長になりました。
こちらの整体で院長として経験を積ませてもらい、3年後院の権利を院長から譲り受け正式に独立を果たしました。
苦境の時代
独立してからは、自分で院を運営していくということになり、様々な困難にもあいました。
正直な気持ちを言うと、この仕事を続けるのは無理だなと何回も思いました。
上手くいかない理由を誰かのせいにしたり、世の中のせにしたり
する自分がいました。(今思うと恥ずかしい気持ちです)
しかしある時に自分の考えを大きく変える出来事があったのです。
この時の経験が今の自分というものの原点になりました。
修行時代~杉戸時代の7年間での総施術時間は1万時間以上させていただき多くの方々、症例を経験させてもらい、施術家として、また一人の人として大きく成長出来た7年間でした。
●南栗橋駅前整体院へ移転
5年間「杉戸高野台整体院」の院長をやらせて頂き、2014年3月に久喜市南栗橋に移転しました。
色々な事を経験させて頂き、私自身これからどうしていきたいのかということを考えたときに新しい土地でゼロからスタートしたいという気持ちが強くなり、移転を決意しました。
移転してから1年が経ち、現在では多くの方々にご来院頂き、充実した日々を送らせてもらっています。
●南栗橋オールボディケア整体院へ移転
2018年1月に同じ南栗橋内で移転をし屋号も改名しました。
この移転では自分の理想とする施術院を目指しました。
一人で院をやっていくと決心し無駄に広くなくクライアントとしっかり向き合える空間を作れたと思います。
●現在
現在も常に技術、知識の向上を意識して、 勉強への資金として自己投資し皆様の悩みを少しでも多く改善できるよう日々精進しております。
施術法に関しては、私自身が強く揉まれたり、押されたりするのが苦手なため、私の施術は、いかに体への負担を少なく、痛みなどを改善するかということをモットーにしています。
ぜひ、整体は痛い、怖い、というイメージを持っている方や痛いのは苦手という方に受けていただきたいと思います。
●後進の育成
現在一人の教え子がいます。
私は様々な技術や知識を多く勉強してきました。
しかし私一人では施術することの人数というのは限られてしまいます。
なので、私の考えに共感してくれる方に技術と知識、そして人としての心の持ちようなどを伝えさせてもらっています。
それが、さらに多くの方に提供できるようになるからです。
今後は、この教えるということをしっかりと形にして、もっとたくさんの方に伝えていきたいと考えています。
●理念
当院の理念は私が体を楽にするのではなく楽になるお手伝いをさせてもらいます。
あなたの体が自然と楽になれるような体にしていくのが私の役目となります。
地域密着を意識し、私の学んだことが多くの方々の明るい未来や健康のお役に立ち、あなたの笑顔のある毎日を送れるお手伝いが出来るよう日々精進してまいりたいと思います。